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大坂城は、豊臣秀吉が築いた。外郭を含むと後楽園球場の500倍の広さだった。天守の屋根は金銀銅の瓦で葺いた為、遠くからも輝いて見えたという。しかし、この名城も夏の陣で炎上した。
大坂の城下も、秀吉が築いたものである。城の建築物は焼失したが、石垣などは残っている。豊臣家は人々に忘れられることはない。
それは幕府にとってまずかった。その為、同じ場所に新しく築くことを決めた。豊臣大坂城は地下深く埋められてしまう。
徳川天守は、名古屋城天守も越える巨大なもので、高さでは江戸城天守に次ぐものだった。しかし、幕府の天守は運が悪かった。江戸時代が始まってから半世紀も経たない内にどれも焼失してしまう。徳川大坂城天守も例外ではなかった。
天守は焼失してしまったが、幕末も多くの建物が残っていた。しかし、それらも1868年の戊辰戦争で焼けてしまった。
城内に13の重要文化財の建築物が残っているが、これだけでも奇跡と思わなくてはならない。
現在の天守は日本初の復興天守だが、当初からエレベータがあった。それまでは軍艦などでしか見られなかった為、当時の人にとっては珍しかっただろう。
1997年に天守の化粧直しが終了し、再公開された。
尚、「大坂」が現在の「大阪」と表記されるようになったのは明治から。したがって豊臣時代の城は「大坂城」と表記するのが正しいと思われる。
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